本日観てまいりました。
はじめに率直な感想を申しますと、けっこう話はしっかりしてたなという感じです。映画として褒めるべきところもままあります。
ただ、「印象に残るか?」「わざわざ映画館に行ってまで観るべきか?」と聞かれると、首を斜めに振らざるを得ません。
なぜだろうと家に帰って考えてみたところ、一つの答えが浮上しました。
それは、この映画が、良くも悪くも単に
テレビシリーズの豪華版である
からだと思います。
今回の記事では、この辺りについて詳しく書いていきます。
〈あらすじ〉
ある日、仮面ライダーゴーストこと天空寺タケル(西銘駿)の前に仮面ライダーダークゴースト(木村了)が出現。ダークゴーストの目的は、100人の英雄の眼魂(アイコン)を収集し究極の眼魂を作り上げ、全ての人間をゴーストにすることだった。タケルや深海マコト(山本涼介)、アラン(磯村勇斗)はダークゴーストに立ち向かう。(引用元)
〈感想〉
■アレレ?酷くないぞ
私の、常日頃の『仮面ライダーゴースト(テレビシリーズ)』に対する評価をいくつか見てみましょう。
なんかゴーストアンチみたいになってますが笑
実は褒めているツイートもある(最近では、ムゲン魂に抗ってグレイトフル魂で戦おうとする回とか面白かったです)のですが、ブログの構成上批判ツイートばかり掲載しました。気分を悪くされた方、すみません。
まぁ要約しますと、私がテレビシリーズに対して難点として挙げていることは、以下のツイート1つで説明できると思います。
繰り返しますが、愛のムチです
(私も胸が痛いのです)
こんなツイートを掲載したのは、劇場版を「思ってたよりしっかりしてたな」と観れてしまった理由が、ここにあると思ったからです。
つまり、この映画は「物語として成立していた」のです。
以下で具体的に見ていきましょう。
■「謎が解決されないでモヤモヤする」成分は...
ゴーストに低評価を下している理由のうち30%は、「謎が解決されないでモヤモヤする」ことだと私は言っていました。なんということでしょう。この映画では謎が解決されます。そもそも謎という謎がそんなに多く出てこないというのもありますが、今回の映画で主に観客が知りたいと思うようなことは、だいたい以下のように解決されます。
「ダークゴーストって何者?」→アルゴスです。アランの兄で、仙人がアイコン集めのために仮面ライダーダークゴーストにしました。つまりタケルと同じ状況でした。
「ダークゴーストの目的は?」→100個の英雄アイコンを集め、英雄の村に閉じ込めて洗脳し、全人類をゴースト化することです。
「マコトのお父さん何してたの?」→子供を眼魔との戦いに巻き込まないよう、仙人とアイコン星でアルゴスを止めようとしてました。
「器ってなに?」→死んだタケルの体です。タケル殿は特別なのです。
このように、物語の大筋に関する最低限の情報は与えられるのです。もちろん、細かいところを指摘しようと思えばいくらでもできます。しかしながら、この作品を物語として観るには支障ありません。この点がやはりテレビシリーズと比べかなりのアドバンテージです(テレビシリーズでは、仙人の正体が不明、ゴーストハンターとは何かも不明、イゴールの計画の全貌がなかなか見えてこない、などなど、他にも様々な謎が消化できておらず、物語として観るのがかなり困難です)。
ただ、これは考えてみれば当たり前のことで、いくらテレビシリーズとリンクしていようとも、劇場版である時点で一つの独立した物語であることは間違いなく、その時点で、なるべくその作品内で物語を完結させようとするのは当然になってくるわけです。ということは、この作品において「謎がきちんと明かされる」ことは、一見大きなアドバンテージに見えますし、実際この映画を「しっかりしてた」と評価できる理由になっているのですが、それは映画として当たり前のことを評価しているに過ぎません。「ゴースト史上最高の出来」というのは全くそのとおりなのですが、比較対象がテレビシリーズなので、結局は「相対的に」良いということなのです。
■「主人公に魅力がない」成分は...
35%の成分です。この点について議論するには、まず主人公(タケル)のどんなところがダメなのかを明らかにしておく必要があります。
私がタケル殿に関して主にイマイチだと思うのは、「青年のくせに道徳の体現者みたい」「言ってることが抽象的で響かない」の2点です。ゲスト回ではよく他人にズケズケと説教をしますし(それもあんまり「命」関係ないことで)、最近では「人間の可能性」を連呼しています。
しかしこの映画ではどうでしょう。わりと等身大のタケルが見られます。アルゴスに言い返せず泣いてしまうタケル、偉人達を守れなくて泣いてしまうタケル、器が自分と知らされビビるタケル......。この映画のタケルは親しみやすいです。なんかよくわからんことを言ったりするあのタケルではありません。この点もやはり大きいです。この映画が「観れる」映画だったな、と感じたのにはここが結構効いていると思います。こういう歳相応のキャラ描写のおかげで、最後の「ご飯が食べたいから」というセリフも微笑ましく聞けます。というのも、アルゴスが「ゴーストになれば食事の必要もない、完璧な存在になれる」と言っているのに、「ご飯が食べたいから」というのは、水掛け論といえばそうで、なんかカチッとした答えではないとも思うのですが、この映画のタケルならそう答えてもおかしくないかな、とまぁ納得できるわけです。もちろん、自分を倒すわけですから、アルゴスを倒せばもうご飯食べられないじゃないか、と言ってしまえばそうで、そこは「みんなとご飯が食べられる世界が一番だから」みたいに、無理ない受け答えにして欲しかったのですが、「納得は」できるということです。
■「話の作りや設定が雑でそもそも面白くない」成分は...
これについては特に人によるでしょう。前述のとおり、謎はおおまかに解明されるのですが、じゃあそもそもあのアイコン星はなんなのとか、アイコン100個集めたら願い6回くらい叶っちゃうだろとか言い出すとキリがなく、突っ込みどころの多さはいつもの仮面ライダー映画です。しかしながら、やはり映画としての尺や、フォーカスを絞るため些末な部分は往々にして省かれることを考えれば、やはり許容範囲内だと思います。例えばテレビシリーズで言えば、いきなり五十嵐が再び現れて、手帳という便利アイテムを置いてくなど、そういう「おいおいそれいいのかよ」というような強引な展開・雑な設定はありません。いままでアルゴスは100個のアイコンを集めていた、その最終段階としてタケル達を襲いアイコンを奪った、それを止めるためにマコトの父はいままで奮闘していた......。無理ない運びです。目立った矛盾点もありません(あるとしても、なんとかこちらで補完できるレベルです)。以上のように考えると、この成分も解消されていると考えられます。
■「戦闘シーンに爽快感がない」成分は...
さすが劇場版なだけあって、戦闘シーンはテレビシリーズの比じゃありません。冒頭の夜の戦闘シーンからすでに新鮮味がありますし、英雄と協力しながら、アカリたちいつもの面々と一緒に戦う様も劇場版らしいです。特にラストの決戦は近年のライダー映画でも迫力のある方だと思います。私はあんなにキレイなライダーキックを見たのは久しぶりな気がしますし、塔から落下しながら戦うシーンではにわかに『AtoZ』を思い出しました。やはり、この成分も解消されていると言えるでしょう。
■しっかりしていた、が...
このように見ていくと、テレビシリーズに対する私の不満がいちいち解消・緩和されていることに気づくと思います。テレビシリーズのあのシッチャカメッチャカ具合を想定していざ観てみると、意外としっかりしていたと思ってしまう自分がいたのですが、その理由はまさにここにあると思います。明かされない謎の連続で視聴者をヤキモキさせない、主人公にイラっとこない、戦闘シーンでしっかり燃えられる......。物語として観れるための最低条件を満たしているのです。「観れるゴースト」というこの新鮮さと驚きによって、なんかわりと良かったな、という感想になる方が結構いると思うのです。私もその一人でした。「これが最終回で良かったんじゃないか」という意見が散見されるのも、このことをよく表しています。
しかしながら何度も言うように、解消された不満は、どれも解消されて当たり前のものばかりです。物語として観れる、なんて褒めてるんだかどうだか分かりません(褒めてるんですが)。結局、テレビシリーズに比べて「相対的に」良い出来だ、ということは言えると思いますが、「印象に残るか?」「わざわざ映画館に行ってまで観るべきか?」ということになると、すなわちこの映画が「絶対的に」良いかということになると、100%YESとは言えないと思います。その理由がまさに、この映画が「テレビシリーズの豪華版」であるからなのです。
■豪華版
作品を「絶対的に」評価するには、その内容を吟味する必要があります。今回の映画では、ズバリ「生きるとはどういうことか」がテーマでした。まさに『仮面ライダーゴースト』という作品からは切っても切れない内容を扱っているのです。この点は良いと思います。
しかし、細かいところを見てみるとどうでしょう。タケルの理解者アカリ。それを取り巻く仲間たち。英雄たちと心を通わせ、協力するタケル。ボスはアランの兄。でも一番の元凶は仙人。自分が生き返られなくなるか、他人を救うかの選択。最終決戦はムゲン魂で挑み、そのうしろにはタケルを支える仲間たち......。なんだかどれもテレビシリーズで似たようなことをやってます。新鮮なのはマコトの父が登場することくらいですが、それもストーリーの根幹には関わってきません。異世界という設定も、今回はみんなが揃って移動し、揃って帰るわけで、ただ戦いの舞台が変化しただけに過ぎません。もっと言えば、テレビシリーズでも眼魔世界という異世界がさんざん絡んでくるので、余計に新鮮味はありません。つまり、言ってしまえばこの映画は、テレビシリーズでやっていることをうまくまとめ、設定をちょこっと変え、戦闘シーンやスケールのクオリティを高めた、言わばテレビシリーズの「劇場版」ではなく「豪華版」であるような印象を受けるのです。「これが最終回で良かったんじゃないか」という意見が示すのは、こういうことでもあったのではないでしょうか。私も、この劇場版を何分割かして、再編集すればテレビシリーズとして通用すると思います。「金を払って観る」という観点から考えれば、さながら「テレビシリーズの内容をCM無しで、しかもクオリティを高めた豪華版で観たい人のための有料コンテンツ」のようです。結局、テレビシリーズの豪華版の域を出ていない、「劇場版ならでは」がないように思えました。ハデな最終決戦や、スケールの大きい設定などはもはやライダー映画ならば定番で、それだけでは「劇場版ならでは」として推すには弱いと思うからです。
■良い点・悪い点総ざらい
ここいらで、この映画で良いなと思った点と、悪いと思った点を箇条書きにしてリストアップしてみます。
〈良い点〉
・夜(暗さ)の使い方がうまい
→冒頭のシーンは、夜の誕生日パーティーからいきなり襲撃されるという恐ろしさが、うまく演出できています。また、夜の駐車場でダークゴーストが初登場するシーンもなかなか絵になっていて気に入っています。『仮面ライダーゴースト』に出てくるライダーは、どれも夜に映えるものが多いので、やっとかという感じでした。他にも、襲われた後の英雄村、塔の中でのシーン、最後の夏祭りなど、比較的夜や暗いところでのシーンが多く、演出として効果的だったと思います。
こんなツイートを過去にしていた私なんかからすれば非常にポイントの高い点です。
・「無限に繋がっている」に説得力がある
→今回の映画でも、1度だけタケルは抽象的なセリフを言います。「すべてのものは、無限に繋がっているんだ!」と。しかしながらこの作品では、この抽象的なセリフに、テレビシリーズとは違って説得力があります。というのも、このシーンでタケルの仲間や、英雄たちは文字通りゴーストとなってタケルに力を貸しているのです。文字通り「無限に繋がっている」状態でのセリフなので、抽象的ながらも物語によくマッチしたセリフとなっています。
・「ご飯が食べたい」の分かりやすさ
→前にも触れましたが、適切なキャラ描写と相まって、子供にもわかりやすく、直感的にアルゴスを反駁するセリフとして機能しています。
・英雄村の楽しさ
→「安っぽい」という意見も多いのですが、私としてはあのカオスでワチャワチャした絵が好きです。また、テレビシリーズと違って人間態の英雄(変な表現ですが)が見られたので、なかなか新鮮でした。五右衛門すきです。
・塔を目指すストーリーがわかりやすい
→異世界に各キャラが飛ばされ、それぞれ別行動をしますが、結局塔に集結してそこが最終決戦の場となるので、場面展開が把握しやすくわかりやすいです。
・タケルとアカリ、マコトと父、アランと兄等、キャラを対にしておりスッキリ
→3人のライダーに、それぞれ話の上でペアになるキャラが用意されており、構図としてわかりやすいです。
・ところどころの絵がいい
→夜の駐車場のダークゴーストは格好良かったです。また、前述のとおりラストのキックもきらびやかで美しく、塔から落ちながらの戦闘も良かったです。
〈悪い点〉
・100の英雄の見せかた
→せっかく100も英雄が登場するので、例えば英雄村でもっといろんな英雄と絡んだり、協力プレイで敵と戦ったりして欲しかったです。こうすれば「劇場版ならでは」感は増しますし、また、英雄たちへの親近感を湧かせたほうが、その後に英雄村を襲撃され、燃やされるシーンの絶望感が増してよかったと思います。
・必殺技が全体的にイマイチ
→例えばダーウィン魂の必殺技や、ピタゴラス魂の必殺技は、ただエフェクトがかった爆発描写のみでイマイチでした。もっと特殊能力を持たせたほうが良かった気が。ナポレオン魂も、ビジュアル格好良いのにあまり活躍しなくてもったいない。
・マコト父vsアルゴスの最後のキック
→塔内で戦うシーン。マコトの父親の最後の見せ場なのに、迫力がなかったです。
・アランの出番が少ない
→アルゴスに反論するシーンはありますが、もう一声欲しかった。
・マコトの父の死があまり本筋に絡んでこない
→マコトは一応「父さんの思いは俺が繋ぐ」と言っていますが、ちょっと物足りません。例えば、「思いは受け継がれる」ということを、ゴースト化計画への反駁材料として活用すべきだったでしょう。これは、「お前の理想は生きているうちに達成できるのか」というアルゴスの問いへの答えにもなります。
・英雄村への決着をキッパリつけるべき
→英雄村は、アルゴスが英雄たちを飼い慣らしておくための牢獄でした。しかしながら、最終的に英雄たちはタケルの「ご飯が食べたい」という一言で目を覚まします。英雄村での生活は確かに楽しそうでしたが、食事のシーンは一度も出てきませんでした。そのことに英雄たちも気づきます。「結局は自分たちは死人なのだから、英雄村にとどまるより、タケルを生かすために犠牲になろう」という決断をするわけです。しかしながらこの決断が分かりづらい。ベストなのは、「目が覚めた」と英雄たちが言うシーンでタケルの命が蘇ることですが、こうするとそれはそれで問題が生じますし、難しいところです。
・「生きるとはどういうことか」へのアンサーが弱い
→好意的に解釈すれば、「みんなとご飯が食べられる世界を守りたい」ということなのでしょうが、やはりここはきちんと明言して欲しかったです。じゃないと、「生き返って一緒にご飯を食べる」というアカリとの約束を諦めたように見えてしまいます。
・基本的にテレビシリーズの豪華版
・矛盾点はそんなにないが、細かいところの説明がない
・大道芸人になったフーディーニ
■この映画の「絶対的な」評価
以上のような議論から、一つの評価が下せると思います。それは、この映画が「印象に残」り、「わざわざ映画館に行ってまで観るべき」であるような人は、すなわち「仮面ライダーゴーストが好きな人」あるいは、「『物語として観れる』仮面ライダーゴーストを体験してみたい人」の二通りに限られるのではないか、ということです。前者のような人にとってみれば、ブラッシュアップされ、クオリティも上がり、かつテレビシリーズともリンクする物語となれば、この映画はとても魅力的でしょう。後者のような人にとってみれば、「観れるゴースト」が目の前で展開されてゆく新鮮さと驚きによって、ある意味好奇心は満たされると思います。しかしながら、それ以外の人にとっては「普通のライダー映画」くらいにしか思われなくても不思議はありません。それはなんといっても、この映画のやっていることが、良くも悪くも「テレビシリーズの豪華版」だからです。むしろ内容を見れば、前述のとおり「生きるとはどういうことか」というテーマの掘り下げ方はあまり気の利いたものではないし、同じようなテーマの作品としてどうしても比較されるであろう『劇場版 仮面ライダー1号』よりも、結論の示しかたは拙いかもしれません。結局、ゴーストが好きか、あるいは好奇心旺盛な人にはそこそこ評価され、そうでない人にはあまり評価されない、そんな作品であろうというのが、私のこの映画に対する「絶対的な」評価です。
以下追記(ツイート)
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