11月23日に公開された映画『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』は、『ハリー・ポッター』シリーズの原作者J.K.ローリング氏と映画のスタッフたちが再び集結して生み出される新たなシリーズの第一作です。
これから9年にわたり5部作となる予定の長いシリーズですが、その入口となる作品なだけあって、『ハリー・ポッター』を全く知らない人でも問題なく楽しめる作りになっていました。と同時に、ハリポタファンならば思わずニヤッとしてしまうような小ネタもいくつかあり(これについても今回の記事で詳しく書きます)、往年のファンも魅了する要素が満載だったというのがまず簡単な感想です。
何より、『ハリー・ポッター』シリーズの完結から5年が経っているというのに、シームレスに作品世界に没入できるようになっているのが上手いところです。その理由として、あの魔法に満ちた世界観の描写が素晴らしいものだったというのがあると思います。しかしこの作品は、その世界観の他にも様々な部分で『ハリー・ポッター』シリーズと共通しているところがあります。それは、作品全体に流れる思想であったり、テーマであったりという部分です。
今回の記事では、今年新たにスタートした『ファンタスティック・ビースト』シリーズと、『ハリー・ポッター』シリーズの内容的な共通点を探り、今後シリーズがどのような展開を見せていくのかを考えていこうと思います。ネタバレ無しなので、まだ映画をご覧になっていない方も安心して下さい。
(2016.11.27更新)
「内容的な共通点」の項の後に、ハリポタファンだとより一層楽しめる「小ネタ」について追記しました。こちらはネタバレになるので注意です。
〈あらすじ〉
魔法動物学者ニュート・スキャマンダー(エディ・レッドメイン)は、魔法動物の調査と保護のためニューヨークを訪問する。ある日、彼の魔法のトランクが人間のものと取り違えられ、魔法動物たちが人間の世界に逃亡してしまう。街中がパニックに陥る中、ニュートはティナ(キャサリン・ウォーターストン)らと共に追跡を開始するが……。(引用元)
A. 内容的な共通点
共通点① アウトサイダー
この動画の冒頭で、原作者のJ.K.ローリング氏がこんなことを仰っています。
「私の物語の登場人物は皆、孤独感や疎外感を抱いている。それが私の物語の中心にあるの。この映画でもそうよ。」
また、監督のデイビッド・イェーツ氏も
「ジョー(J.K.ローリングの愛称)は"アウトサイダー"――誤解されていたり、世の中の他の人々とはちょっとだけ合わない人々――に常に関心を抱くんですよ。」(パンフレットより)
というようなことを発言されています。
『ハリー・ポッター』におけるハリー、ロン、ハーマイオニーも、それぞれがある意味「アウトサイダー」でしたが、『ファンタスティック・ビースト』の主要人物もそんなキャラクターばかりです。
この作品においてハリー、ロン、ハーマイオニーのポジション、いわゆる「主人公とその仲間たち」のポジションに立つ人物は4人います。
まずは主人公のニュート・スキャマンダー。ちょっと天然な魔法動物学者ですが、学生時代にホグワーツで魔法動物絡みの事故を起こし退学になっています。魔法動物は彼の最大にして唯一の友達であり、彼の目的は魔法界にその価値と理解を広めること。そのため、今作で見知らぬアメリカの社会へと入っていきます。
しかし、この時代の魔法族は人間から隠れて生活しており、魔法界の存在をバラしてしまうであろう魔法動物は危険視されていて、絶滅させるのが慣例でした。実際、今回の話でもニュートの保護していた魔法動物たちが逃げ出し、事件を引き起こします。
反対に動物以外とはなかなか上手くいかないみたいです。とはいえ、本人はそれほど気にしていないようで、魔法動物さえいればそれでいいという感じ。しかし、今回の話で様々な人物と出会い、共に行動することで......という運びです。
次は、ティナ・ゴールドスタインとその妹のクイニー・ゴールドスタイン。ティナはもと闇祓いでしたが、その正義感の強さのあまり、あることがきっかけでデスクワーカーに降格してしまいます。妹のクイニーは自由奔放な魔女ですが、善良な心の持ち主です。彼女たちは二人暮らしで、強い絆で結ばれていますが、それはある意味世の中から隔離された孤独な関係でもあります。そんな彼女たちも、今回の事件に巻き込まれることで何かが変わっていきます。
4人目はある意味一番のアウトサイダーであるジェイコブ・コワルスキーです。彼は4人のうち唯一の非魔法族、すなわち一般の人間です。パン屋になることを夢みていますが、なかなか上手くいきません。そんななか、主人公のニュートと出会うことで、彼の人生も大きく変化します。
このように、主役の4人とも皆社会の中で上手くいかなかったり、どこかで孤独を感じていたりするキャラクターです。つまり、『ハリー・ポッター』シリーズとの第一の共通点として、「はみ出し者たちが活躍する物語」であることが挙げられるのです。
なぜ、そのようなキャラクターたちをメインに据えるのでしょうか。それは、そうした「はみ出し者」こそ、互いに支え合って生きていくことを特に必要とするからです。『ハリー・ポッター』においてハリー、ロン、ハーマイオニーの友情が作品の根幹を成していたように、今回のシリーズにおいても彼ら4人の間で発展する友情はかなり重要なものになっていくと思われます。
また、「はみ出し者」は、往々にして社会に対して他者と異なる視点や価値観を持っています。そのため、多くの人が成し得ないことを成し遂げるヒーローにも、最凶最悪の悪役にもなることができるのです。つまりそれは、彼らが強い「個性」を持っているということにほかなりません。私はローリング氏のどの作品においても、彼女がそうした強い「個性」を持つ人たち、世界から圧を感じながらも、それでも自分を持って生きていく人たちを肯定的に描いているように思えるのです。
共通点② 恐怖
主人公ニュートを演じるエディ・レッドメイン氏は、今作について以下のようなことを仰っています。
「この映画の中心には恐怖というテーマがあります。理解できないものに対する恐れや、その恐れに対する極端な反応を描いている。」(パンフレットより)
『ハリー・ポッター』では、血統による差別問題が描かれていました。先祖代々魔法族である「純血」と、非魔法族の血が混じった「混血」という概念が持ち出され、とりわけ非魔法族同士の間に生まれた者は「穢れた血」という差別用語で酷く差別されていました。もちろん、そのような血統差別をするのは主に「純血主義」と呼ばれる人々で、要は自分の理解できない外部の世界から入ってくるものに対する恐れや無理解が根本にあったわけです。
『ファンタスティック・ビースト』では、そのような「理解できないものに対する恐れ」というテーマがより一層強調されています。例えば、魔法族と非魔法族の交流が全くないアメリカ社会や、魔法動物に対する偏見など。いずれも今作における重要な鍵です。
『ハリー・ポッター』において、ハリーは「混血」、ロンは「純血」でした。また、ハーマイオニーは非魔法族同士の間の子で、作中でも何度か「穢れた血」呼ばわりされていました。つまり、メインの3人組がまさにそれぞれ異なる血統の人間だったのです。結局、物語の最後で3人は文字通り「家族」になり、血統差別に対する明確な答えを提示していました。従って『ハリー・ポッター』シリーズにおけるこの3人の友情とは、色んな意味を含んだものだったのです。
さて、『ファンタスティック・ビースト』ではどうなるのでしょう。魔法族vs非魔法族、人間vs動物。この辺りがフォーカスされてゆくのではないかと予想できます。5部作の間で、「理解できないものに対する恐れ」というものがどこまで薄まっていくか。これもシリーズの一つの見所ではないでしょうか。
共通点③ 愛の物語
「アウトサイダー」の物語、「恐怖」の物語......。いずれにせよ、そこで最も重要になってくるのが何かということは、もう分かっています。それがすなわち「愛」です。
『ハリー・ポッター』において、「愛」という概念は非常に重要でした。そのことは、シリーズ第一作『ハリー・ポッターと賢者の石』において、すでに述べられていました。
「愛じゃよ、ハリー。愛じゃ。」(アルバス・ダンブルドア)
このセリフが記憶に残っている方は多いのではないでしょうか。仲間と団結して危機を乗り越えるときに必要なのも「愛」、理解できないものに歩み寄るときに必要なのも「愛」なのです。上のセリフは、まさにシリーズに一貫して流れている思想を表す象徴的なセリフであったと言えるでしょう。
『ファンタスティック・ビースト』の物語も、同じ着地点に行き着くと思われます。そのことは、今作ですでに示唆されています。例えば、メイン4人組が冒険をしながら絆を強めていく姿。外見が恐ろしくても、やっかいな性質を持っていても、あらゆる魔法動物に愛をもって接すること。そして、今作の悪役に必要だったのも、実は愛だったということがわかります。
いかがでしょうか。『ファンタスティック・ビースト』と『ハリー・ポッター』。同じ作者の作品なだけあって、両者を比べてみるといろいろな共通点が見えてきます。
さて、続いては本作で見られたいくつかの小ネタについて紹介します。『ハリー・ポッター』と共通の世界観であることが感じられる、ファンにはたまらない要素です。
※注意! ここからネタバレ有り
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B. 小ネタに見られる世界観の共通点
1. オープニング
ワーナーのロゴが迫りタイトルが現れる入りは、『ハリー・ポッター』シリーズの伝統でした。また、このときのBGMは『Hedwig's Theme』という『ハリー・ポッター』でもオープニングに毎回使用されていた有名な曲です。ファンにとっては、ここで一気にあの世界観に引き戻される良い演出でした。
2. シーカーとチェイサー
冒頭、新セーレム救世軍のリーダーであるメアリーとニュートの間で、「あなたはシーカー?」「いえ、チェイサーです」というような会話がありました。「シーカー」「チェイサー」とは、いずれも魔法界ではポピュラーな「クィディッチ」というスポーツの用語です。『ハリー・ポッター』でもクィディッチの試合は何度か描かれました。「シーカー」も「チェイサー」もポジションを表す用語で、ちなみにハリー・ポッターはシーカーを務めていました。
新聞記事にも「クィディッチはノーマジのサッカーか?」という見出しがあり、これも小ネタとして数えていいでしょう。
3. グリンデルバルド
本作の悪役グリンデルバルドは、『ハリー・ポッター』における悪役ヴォルデモート卿に次ぐ強力な闇の魔法使いと言われています。ホグワーツの校長アルバス・ダンブルドアと親交がありましたが、後に彼と壮大な決闘を繰り広げ、敗れるという設定になっています。本編ではどこまで描かれるのでしょうか。
ちなみに、彼は『ハリー・ポッターと死の秘宝 Part1』で登場しています。
4. アルバス・ダンブルドアの名前
ニュートがグレイブスに尋問されるシーンで、初めて「アルバス・ダンブルドア」の名前が。また、イギリスの魔法学校「ホグワーツ」の名前もここで登場します。ダンブルドアは後にホグワーツの校長となる人物ですが、この時代ではまだ校長ではなく教師です。
5. ニュートのマフラー
ニュートはホグワーツ時代、ハッフルパフという寮に属していました。この寮のシンボルカラーは黄色で、ニュートの鞄の中にもハッフルパフ寮の黄色いマフラーがありました。
6. ノーマジとマグル
『ハリー・ポッター』と違い、今回の舞台はアメリカ。そのため文化も違うようで、非魔法族のことはアメリカでは「ノーマジ」と呼ばれていることが明かされました。イギリスでは「マグル」と呼ぶとニュートが言っていましたが、この「マグル」という言葉は、舞台がイギリスである『ハリー・ポッター』では聞き慣れた用語です。
7. おなじみの呪文
相手を硬直させる呪文「ペトリフィカス・トタルス」や、開錠の呪文「アロホモラ」は、『ハリーポッター』シリーズの第一作『ハリー・ポッターと賢者の石』においても登場しました。同じ第一作で共通の呪文が出てきたので、ファンもニヤッとしてしまったのではないでしょうか。この2つ以外にも『ハリーポッター』シリーズで使われていた呪文はあります。ぜひ探してみてください。
8. アメリカの魔法学校
この作品の世界には、長い歴史を持つ魔法学校が11校存在するという設定になっています。その一つがイギリスの「ホグワーツ」であり、これが『ハリー・ポッター』の舞台でした。今作ではそれ以外に「イルヴァーモーニー」というアメリカの魔法学校の名前が登場します。
9. 「死の秘宝」マークのネックレス
作中でグレイブスがクリーデンスに与えたネックレスは、「死の秘宝」のシンボルマークを模したデザインでした。このネックレスは『ハリー・ポッターと死の秘宝 Part1』にも登場しています。
「死の秘宝」とは、揃えると死を制する者になれるとされる三種の伝説の秘宝です。死の秘宝のマークは、その縦棒が「ニワトコの杖」、円が「蘇りの石」、三角形が「透明マント」を表しています。タイトルの示すとおり、『ハリー・ポッターと死の秘宝』では重要なアイテムでした。
グリンデルバルドはこの「死の秘宝」に魅了され、アルバス・ダンブルドアと共にこれを探索していたという過去を持っています。彼はこのネックレスについて、「選ばれし者のみに与えられる」と言っていましたが、今作でも「死の秘宝」が絡んでくるのでしょうか。
10. レストレンジ家
本作では、ニュートの元恋人である「リタ・レストレンジ」の名前が出てきました。この「レストレンジ家」というのは、クイニーの反応からも分かる通り、闇の魔法使いの一族です。『ハリー・ポッター』では、「ベラトリックス・レストレンジ」という闇の魔女がヴォルデモート卿の手下として登場します。
リタ・レストレンジという人物は、『ファンタスティック・ビースト』においてキーパーソンとなるのかもしれません。
11. 『幻の動物とその生息地』
ニュートが後に完成させる魔法動物に関する本が『幻の動物とその生息地』です。ラストにその表題が明かされていましたが、この本は後にホグワーツ校の指定教科書になっており、ハリー・ポッターもそれを使用しているという設定です。また、この本は現実で実際に販売されています。
前述の通り、『ファンタスティック・ビースト』は9年にわたる展開が計画されています。今作で魔法の魅力にあてられた方には、長い付き合いになりそうです。物語を読み解き、楽しむ上で、もう一度『ハリー・ポッター』シリーズを観直してみるのもいいかもしれません。『ハリー・ポッター』をまだご覧になったことのない方も、これを期にイッキ見してみてはいかがでしょうか。
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